郡上八幡北町(城下町)・町並み

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写  真 備  考
郡上八幡北町(城下町)

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【郡上八幡北町】−郡上八幡北町は戦国時代の永禄2年(1559)に遠藤盛数によって郡上八幡城(現在の天守閣は昭和8年:1933年に木造で再建したもので郡上市有形文化財に指定されています。石垣は岐阜県指定史跡。)が築城されその城下町として整備され特に3代藩主遠藤常友の時代に大きく拡張され現在に近い町割が行われました。江戸時代に入ると郡上藩が立藩し、城下町は藩都として藩士の消費地、物資の集積場となり大きく発展しました。城下町は天然の堀に見立てられた吉田川が東西に流れ、川を境に北町と南町に別れ、城に近い殿町や柳町は武家屋敷、その西側は職人町、鍛冶屋町、大手筋は町人に町割されていました。町屋建築は木造2階建、切妻、桟瓦葺き又は鉄板葺き、平入、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、2階正面両側には袖壁付、略同じような形式の町屋が軒を連ね町並みを形成しています。水が豊かな土地柄で、至る所に水路が張り巡らされ、所々に水屋と呼ばれる共同の洗い場が現存し、特に「宗祇水」は古くから名水として知られ岐阜県指定史跡に指定され、日本名水100選に選定されています(郡上八幡の町としても水の郷百選に選定されています)。「宗祇水」の名称の由来は文明8年(1471)に室町時代の連歌師である「宗祇」が帰郷する際、当時の篠脇城の城主東常縁がこの泉の前で「もみじ葉の流るる竜田白雲の花のみよしの思ひ忘るな」の一種を詠った事に因むとされています。郡上八幡北町は現在でも伝統的な良好な町並みが残り面積約14.1ha(八幡町柳町・八幡町字一ノ平・職人町・鍛冶屋町・殿町・本町・桜町・桜町字一ノ平・小野字ヒツツリ・初音字代官町・初音字惣門)が平成24年(2012)に名称「郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【郡上おどり】−郡上おどりは毎年7月中旬から9月上旬まで延べ32夜開催される、他地域では見られない程、長期間かつ大規模で行われる年中行事で、踊り自体は比較的に判り易い事から自由に誰でも参加する事が出来ます。発生起源は不詳ですが、中世に発生した念仏を唱えながら踊る「念仏踊り」や室町時代に流行った、派手な衣装を纏い様々な楽器や小唄に合わせて踊る「風流踊」が発展したものと考えられています。江戸時代の郡上藩の藩主遠藤慶隆が奨励説や、宝暦騒動(郡上藩内で起った大規模な一揆)後に庶民との融和を図る為に時の藩主が奨励説など諸説ありますが、何れにしても藩が「郡上おどり」を承認した事で現在見られる形式に発展しました。しかし、あくまで庶民の祭りだったようで、武士やその家族が踊りに参加する事を禁止する御触れが出ています。明治時代初期には明治政府から禁止令が発布されますが(明治政府は日本の近代化を図る為に風俗的に良くないものは禁止していた事から、それに触れたと思われます)、その後再開されたようで、現在は日本三大盆踊り、日本三大民謡(郡上節)に数えられ、国重要無形民俗文化財に指定され、郡上八幡の夏の風物詩となっています。

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