馬籠宿(木曽路・宿場町)・町並み

  歴史が感じられる町並みを旅する(ホーム)>馬籠宿(木曽路・宿場町)
写  真 備  考
馬籠宿(木曽路・宿場町)
スポンサーサイト

【馬籠宿】−馬籠宿は中山道宿場町で、所謂「木曽路」と呼ばれた木曽11宿の1つです。11宿中では最南端に位置し、他の10宿が長野県に属しているのに対し、唯一岐阜県に属しています(近年まで長野県木曽郡山口村でしたが越県合併で岐阜県中津川市に編入された)。馬籠宿は傾斜地に町割された珍しい宿場町で、略全区間坂道で敷地割り毎に石垣などで整地され独特の町並みが見られます。山間で傾斜地だった事から明治時代以降も大規模な近代化が図れず古くからの町並みが残されていましたが明治28年(1895)と大正14年(1915)の大火で多くの町屋建築が焼失、現在は昭和初期の建物が多いですが、その後も新建材での建替えが少なかった事から懐かしい町並みを形成しています。中でも清水屋資料館は明治28年(1895)の大火後に建てられた町屋建築で主屋と土蔵が国登録有形文化財に登録されています(建物は明治時代の建物ですが島崎藤村の「嵐」の登場する森さん(原一平)の家です)。又、馬籠宿の本陣は島崎藤村の生家として知られ、著書「夜明け前」は馬籠宿はじめ、木曽路の宿場町の様子が表現されています。現在は一大観光地として枡形、水車、常夜塔、水路、石畳、高札場、藤村記念館(馬籠宿本陣、島崎藤村宅、岐阜県指定史跡)、馬籠脇本陣資料館などが整備され、多くの観光客が訪れています。

【馬籠城】−馬籠城の築城年は不詳ですが室町時代には既に存在し、木曽地方の領主である木曽氏(木曽義仲の後裔とされる)の支配下にありました。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いでは当時の当主木曾義昌は豊臣秀吉に与し、家臣である島崎重通を馬籠城の城将として配し、徳川軍の木曽侵入を阻止しようとしました。しかし、実際、徳川軍の大軍(菅沼定利、、保科正直、諏訪頼忠など)が攻め寄せると、大きな抵抗を見せず馬籠城を放棄して妻籠城に退いています。その後、馬籠城は廃城となり、江戸時代に入ると、島崎氏も許され馬籠宿の開発を任され本陣職に就任しています。島崎氏は明治維新に至るまで本陣職を歴任し、幕末には島崎藤村を輩出しています。

スポンサーサイト
馬籠宿(木曽路・宿場町)
馬籠宿(木曽路・宿場町)
馬籠宿(木曽路・宿場町)
 岐阜県:伝統的・町並み・探訪|高山市下二之町大新町白川郷高山市三町大湫宿美濃町馬籠宿恵那市岩村町本通り
郡上八幡北町下呂温泉明智町
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。