美濃町・町並み

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美濃町
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【美濃町】−美濃町の町割の原型は慶長10年(1605)に金森長近が隠居城として小倉山城(小倉居館:美濃市指定史跡)を築城した際にその城下町として整備されました。慶長16年(1611)、2代金森長光が嗣子がいなく死去した為、金森家は断絶となり上有知藩は廃藩、小倉山城も廃城となりましたが、その後の領主となった尾張藩も引き続き上有知の地を重要視した為、藩の代官所が設けられ、町割も維持されました。美濃町は長良川舟運の拠点である上有知川湊が整備されると生産拠点だった美濃和紙をはじめ荏胡麻、生糸、酒などの物資の集積地となり、湊ではこれらの物資の荷揚げ、荷下しが頻繁に行われ、さらに上流からの木材運搬の中継基地にもなり美濃国四大川湊の1つに数えられる程に繁栄しました。現在でも船着場跡の石畳や住吉型川湊灯台(江戸時代末期建築、高さ約9m、川湊の守護神である住吉神社の献灯を兼ねた灯台)などが残され、旧環が維持され貴重な事から昭和40年(1970)に岐阜県指定史跡に指定されています。美濃町には舟運業や美濃和紙の生産などで数多くの豪商を輩出し間口が広く豪勢な町屋建築が建ち並ぶ町並みが形成されていきました。町並みの大きな特徴である「うだつ」は当初は隣家に対する防火や延焼を防止する機能的なものとして捉えられていましたが、豪商の多くが「うだつ」を2階の大屋根の上に突き出すように高く掲げ、「うだつ」の屋根や壁にまで意匠を施し、次第に富の象徴として競うようになり、他所に無い個性ある町並みが見られるようになりました。現在も良好な伝統的な商家町の町並みが残され「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」との選定基準を満たしている事から平成11年(1999)に名称「美濃市美濃町重要伝統的建造物群保存地区」として面積約9.3ha(美濃市常盤町・相生町・本住町・泉町)が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。特に小坂家住宅は江戸時代中期に建てられた美濃町を代表とする町屋建築で大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

【美濃和紙】−美濃和紙の発生起源は不詳ですが、大宝2年(702)に製作された戸籍簿断簡の和紙が美濃国府内で漉かれたものを使用されている事から少なくとも、奈良時代には存在していたと推定されています。当時としては大変貴重なもので、平安時代には和紙の原料である「楮」が税の一部として納めたという記録が残されています。室町時代に入ると庶民の一部にも和紙の利用が普及し、美濃守護職である土岐氏は和紙生産を保護する事で経済的な収入増加を画策した為に飛躍的に発展し、全国的にも知られる存在となりました。江戸時代に入っても藩が専売制度として保護した為、安価で大量生産が可能となり、特に障子紙として普及しました。戦後になると人で不足や材料の高騰、安価な紙の普及などで急速に衰退し生産者の数も限定的な人数となってしまいました。美濃和紙は昭和60年(1985)には国の伝統工芸品に指定されています。

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