白川郷(茅葺合掌造り・集落)

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写  真 備  考
白川郷(茅葺合掌造り・集落)
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【白川郷・概要】白川郷は岐阜県の白川村に位置し、古くからの伝統的な建築形式である合掌造りの古民家が数多く残されています。日本の一般的の農家建築とは大きく異なり、合掌造りは茅葺の急勾配の屋根で4階から5階建の多層階で構成され、白川郷の持つ独特な自然環境と、家族構成、風習、養蚕や硝煙の生産などが起因して独自に発達しました。江戸時代まではこのような茅葺の合掌造り集落が白川郷や五箇山(富山県南砺市・相倉集落菅沼集落)に数多く存在していましたが、明治時代後期に養蚕業が衰退し、近代的な家族形態や風習が浸透すると逆に合掌造りの建物が住みにくいものとなり、さらに新建材の発展により、建物を維持するよりそれらを利用して新しく建替えた方が経済的となりました。昭和に入ると経済的にも集落の維持が困難となり過疎化が急激に進み、ダムの建設で水没する集落も多数ありました。そのような中、白川郷にある荻町集落は比較的早くから茅葺屋根の合掌造りの古民家に価値を見出し、保存活動を展開した事から奇跡的に建物や景観、町並みなどが維持されました。これらの事が評価され昭和51年(1976)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成7年(1995)にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、現在では一大観光地として多くの観光客が訪れています。特に和田家住宅(主屋・土蔵・便所・敷地)は、当時からの形状が非常に良く保存され意匠的にも大変優れている事から国指定重要文化財に指定されています。
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【白川郷・天正大震災】−天正13年(1585)11月29日、東海地方、北陸地方、近畿地方など西日本を中心に巨大地震(推定M7.9)が発生し各地で大きな被害がでました。白川郷では現在、帰雲山と呼ばれている山周辺が大崩落を起こし、内ヶ島家の居城である帰雲城は元より城下町全体が埋没したとされ、家屋300棟、死者5百人余の犠牲を出しました。内ヶ島家は室町幕府将軍足利家に従い、内ヶ島上野介為氏の代に8代将軍足利義政の命で当地方に配され、寛政5年(1464)頃に白川郷に進出し帰雲城を築いたとされます。当時の資料や古文書などは圧倒的少なく、帰雲城、城下町が陥没、内ヶ島家一族、家臣も全て(白川郷に不在だった4人の家臣がいたそうですが、地形が余りにも変形していた為、位置を特定する事も出来なかったそうです。)土砂に埋まった事から詳細が全くの謎で「幻の帰雲城」などとも言われています。又、内ヶ島家は鉱山の採掘を積極的に行っていた事から城内に大量の金銀財宝を所有していたとの伝説が残っており興味深い所でもあります。

【白川郷・明善寺】−明善寺(白川郷)の創建年など不詳、前身である仙光院は白川郷の産土神である白川八幡神社の別当寺院で、白川八幡神社の創建が和銅年間(708〜714年)とされる事から古くから祭祀を司っていたと思われます。延享5年(1748)、仙光院が廃寺になったようで、その跡を引き継ぐ為に明善寺が白川郷に移され真宗大谷派の寺院となったされます。現在も境内には江戸時代に建てられた堂宇が健在で、象徴的な鐘楼門(享和元年、県指定文化財)、庫裏(江戸時代末期、県指定文化財)、本堂(江戸時代後期、村指定文化財)などがあります。

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