加賀橋立(船主集落)・町並み

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写  真 備  考
加賀橋立(船主集落)
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【加賀橋立】−加賀橋立(石川県加賀市)は当初は一漁村だったと思われますが、寛永16年(1639)に加賀藩3代藩主前田利常が隠居する際に3男前田利治に7万石に分知して大聖寺藩が立藩すると、藩庁が置かれた大聖寺陣屋の外港として注視されるようになりました。寛文11年(1671)に河村瑞賢が西廻航路を開削すると加賀橋立も北前船の恩恵に預かり、沖に停泊した北前船に港が利用出来る程度の小船で行き来して物資の荷揚げや荷降ろしが行われました。物流が盛んになるにつれ多くの船主を輩出するようになり寛政8年(1796)には船主42人、持船100隻余を数え大きく繁栄しました。船主の中には大聖寺藩の財政を助ける程に力を付ける者も現れ、その功績から名字帯刀を認められ、屋敷内には豪勢で格式の高い藩主御成部屋が建てられたそうです。明治に入ると北海道にまで進出しさらに大きな富を得ましたが明治後期以降北前船の衰退と共に衰微し、大正時代には最もと栄えている村として紹介されるも、衰退が加速し多くの船主達も加賀橋立を離れ屋敷だけが残されました。

加賀橋立の家屋の多くは赤瓦と、船の古材を利用した下見板張りの外壁、板塀、福井県福井市の足羽山で産出される笏谷石で積み上げられた塀や階段によって構成され、殆どの建物が明治5年(1872)に大火後に再建されたものです。同じ石川県内で船主集落である輪島市黒島地区では道路に面し、隣の家屋とも密着している町屋建築風の建物が多いですが加賀橋立では農家や武家屋敷のように敷地に余裕がある屋敷が多く見られます。

町並みの特徴は自然の地形を利用して敷地割りが行われた為、直線的な道は少なく、入り組んだ路地や坂、階段なども目立っています。現在も当時の船主達の屋敷が点在し、平成18年(2006)に種別「船主集落」、東西約680m、南北約550m、面積約11.0haが名称「加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

加賀橋立(船主集落)
加賀橋立(船主集落)
 |卯辰山山麓寺院群輪島市黒島地区主計町加賀東谷加賀橋立東山ひがし寺町寺院群総持寺祖院山中温泉金沢城
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