主計町(金沢城の城下町・茶屋街)・町並み

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写  真 備  考
主計町(金沢城の城下町・茶屋街)
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【主計町】−主計町茶屋街は明治2年(1869)に遊郭として認められた町で、江戸時代後期にはすでに浅野川沿いの東郭(ひがし茶屋街=東山ひがし)と犀川沿いの西郭(にし茶屋街)が成立していた事から3番目の遊郭という事になり、さらに金沢城下では西郭の近くに北郭をもうけて4箇所の遊郭が存在していました。基本的に東郭は武士(当初は武士の遊郭利用は禁じられた)や上層商人、文化人、西郭は一般庶民、主計町は官僚や役人が利用していたとされ、その後の「北郭」や「愛宕」、「石坂」などは戦前まで赤線や青線などと呼ばれた花街として発展しました。ちなみに「主計町」と「愛宕」は東郭(ひがし茶屋街=東山ひがし)、「北郭」と「石坂」は西郭(にし茶屋街)に隣接して設けられ、それぞれ歓楽街を形成していましたが、戦後の改正などにより主計町と東郭(ひがし茶屋街=東山ひがし)、西郭(にし茶屋街)は歓楽的な要素を廃した茶屋街、料亭街に転じ、残りの街は衰退したようです。又、主計町は昭和45年(1970)に尾張町2丁目に吸収され町名が消失しましたが、金沢城が築城され町割されて以来の旧町名が無くなる事は町民にとっても心の拠り所を失った事と同義という事で、平成8年(1996)には旧町名復活委員会結成、その後何度も協議を繰り返し平成11年(1999)に全国初の旧町名(主計町)の復活が遂げられました。

主計町の大きな特徴は、町自体が小さく纏まり、細い路地に沿って密集して茶屋建築が建てられている事で、さらに地形により一段低い土地にある事から「暗がり坂」と「あかり坂」と呼ばれる石段をかいして町の中に入る様は日常と非日常を隔てる演出効果となり一掃茶屋街の雰囲気を醸し出しています。又、浅野川に面して茶屋建築は、3階部分が増築され室内から浅野川の流れを見れるように工夫され特徴ある町並みが見られます。主計町茶屋街は現在でも当時の町並みを色濃く残しており「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」との選定基準を満たしている事から平成20年(2008)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

主計町(金沢城の城下町・茶屋街)
主計町(金沢城の城下町・茶屋街)
 |卯辰山山麓寺院群輪島市黒島地区主計町加賀東谷加賀橋立東山ひがし寺町寺院群総持寺祖院山中温泉金沢城
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