輪島市黒島地区(船主集落)・町並み

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写  真 備  考
輪島市黒島地区(船主集落)
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【輪島市黒島地区】−黒島集落の集落的発生の起源は不詳ですが、当初は一漁村程度だったと思われますが戦国時代に入ると番匠屋善右衛門が廻船業を開業し次第に重要視されるようになりました。曹洞宗の大本山總持寺に近かった事から、總持寺やその関係者、門前町の住民など多くの消費が行われ、それらを賄う為に廻船の利用が多くなったとされ(森岡屋は總持寺の御用船を扱う船問屋だった)、一向一揆の後方支援として物資や食料の調達なども行っていたそうです(特に現在の金沢城は金沢御坊として加賀一向一揆の最大の拠点だった為、黒島集落を経由して物資が運ばれました)。江戸時代に入ると概ね天領(幕府直轄領)支配で推移し、北前船による廻船業が活発になると、当地は特に北前船の寄港地ではありませんでしたが、黒島集落から船主を数多く輩出するようになり集落内には船主をはじめ船頭や水夫など、北前船関係者が多く居住し急速に発展しました。天和4年(1684)に天領になった時には能登半島に存在した天領代官支配の62集落の中でも最大級の規模を誇り、鎮守である若宮八幡神社の例祭である黒島天領祭(輪島市指定無形民俗文化財)では豪華な城郭を模った山車や奴振り行列が町内を練り歩き当時の繁栄が窺えます。黒島集落の最盛期は江戸時代後期から明治時代中期までで、北前船の衰退と共に衰微しましたが、その後も船大工や船乗りなどが居住し続けました。

町並みは集落内を縦断する主要道(本町通・外浦街道)以外は車も通れない程の細かな路地が左右に分かれ、若干の傾斜に町割されている事から微地形を利用した坂や階段なども存在し変化に富んだ町並みが見られます。町並みを構成している建物の多くは木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、平入、格子戸付、外壁は下見板張りで、基本的には町屋建築のように主屋が敷地一杯に建てられ隣家とも密着し、同じ石川県内で船主集落である加賀橋立は農家や武家屋敷のように屋敷型が多い集落とは赴きが異なっています。当然、金沢にある「東山ひがし」や「主計町」のような茶屋街の甘美な感じは一切なく質素堅実な町並みが見られます。特に廻船業を歴任した豪商角海家の邸宅は、明治4年(1871)の火災後の明治5年(1872)に再建された建物として貴重な事から、主屋と土蔵4棟が昭和47年(1972)に石川県指定有形文化財に指定されています。

輪島市黒島地区には現在でも建築物148件、工作物101件、環境物件21件などが古い町並みを形成し「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの」との選定基準を満たしている事から種別「船主集落」、東西約680m、南北約1.3km、約20.5ヘクタールが平成21年(2009)に名称「輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

輪島市黒島地区(船主集落)
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輪島市黒島地区(船主集落)
 |卯辰山山麓寺院群輪島市黒島地区主計町加賀東谷加賀橋立東山ひがし寺町寺院群総持寺祖院山中温泉金沢城
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