総持寺祖院(輪島市・門前町)・町並み

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総持寺祖院(輪島市・門前町)・町並み
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【総持寺祖院】総持寺祖院の前身は諸岡寺と呼ばれる真言宗の寺院で奈良時代の天平年間(729〜749年)に行基によって創建されと推定されています。諸岡寺は崇神天皇の御代に創建された諸岡比古神社の別当寺院だったとされ、元享元年(1321)に住職だった定賢が永光寺の瑩山紹瑾に境内を譲った事を受けて曹洞宗に改宗、寺号を「総持寺」に改め、諸岡比古神社は現在地である輪島市門前町道下に遷座したとされます。瑩山紹瑾は名僧として知られ元享2年(1321)には後醍醐天皇の勅問全て答えた事から「日本曹洞賜紫出世之道場」の額を賜り、正中元年(1324)には「諸岳山十条之亀鏡」を制定し総持寺の基礎を固めました。跡を継いだ2世峨山韶磧も名僧とされ、「峨山二十五哲」、「峨山五哲」と呼ばれる高僧を排出し、彼らが創建した寺院は「総持寺の五院」と呼ばれ曹洞宗の布教に尽力しました。中世は能登半島の国人領主である長谷部氏(後の長氏)、能登国守護職である畠山氏に庇護され、為政者である室町幕府の祈願所になるど寺運が隆盛し最盛期には末寺1万6千余を擁する大寺院として発展しましたが、元亀元年(1570)の兵火により大きな被害を受け衰微しています。天正9年(1581)に能登に配された織田信長の家臣前田利家により再興が図られ江戸時代に入ると引き続き加賀藩(石川県金沢市:本城−金沢城)の藩主前田家から篤い庇護を受けています(慶長15年:1610年に前田利家の正室芳春院により山門が寄進、明暦3年:1657年に寺領400石寄進、寛保3年:1743年に5代藩主前田吉徳が経堂を寄進)。総持寺は永平寺(福井県永平寺町)との曹洞宗の大本山争いは古来から幾度と無く繰り返され、元和元年(1615)に幕府の裁定により両寺が揃って大本山として認められる結果となり、幕府の祈願所として1000両が寄付されています。明治31年(1898)の火災により境内全域が焼失し、これを機により利便性が高く布教に適した場所に移る事が計画され、明治44年(1911)に神奈川県横浜市鶴見区へ移転し、鶴見区のものは曹洞宗の大本山「総持寺」となり、当寺は「総持寺祖院」として支院の1つとなっています。現在でも再建当時の堂宇が数多く残され、多くが国の登録有形文化財に登録されています。

【門前町】−総持寺祖院は神奈川県横浜市鶴見区へ移転する以前は曹洞宗の大本山だった為、境内には多くの僧侶が修行に励み、その消費地として門前町が発展しました。門前町には大工や葺師兼桶屋、畳屋、鍛冶屋、表具師、ローソク屋、蝋屋など寺院の運営や堂宇の修復に関係が深い店や職業が多く、大本山移転後は大きな影響を受けましたが、境内は総持寺祖院として残された事で、門前町も存続しました。そのような中、明治28年(1895)に建てられた旧酒井家住宅主屋と明治37年(1904)に建てられた土蔵は輪島市(旧門前町)指定文化財に指定されています。隣接する海沿いの集落である黒島集落では門前町を支える為に、廻船業を営む舟問屋を数多く輩出し現在も当時の町並みを色濃く残しています。

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 |卯辰山山麓寺院群輪島市黒島地区主計町加賀東谷加賀橋立東山ひがし寺町寺院群総持寺祖院山中温泉金沢城
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