木曽平沢(中山道・漆工町)・町並み

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写  真 備  考
木曽平沢(中山道・漆工町)
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【木曽平沢】−木曽平沢は所謂正式な宿場町ではありませんが、慶長3年(1598)に後に中山道と呼ばれる幹線を奈良井川の右岸に付け替えられた際、周辺の集落から人家を集めて成立したと推定されています。慶長7年(1602)に中山道として正式開削されると、利便性からさらに人家が集まり次第に大きな町が形成されていきました。隣の宿場町である奈良井宿の枝郷として関係が深く、奈良井宿と同様に名産だった木曽檜の檜物細工や漆器などの製作、販売を生業としていました。

木曽谷の高地寒冷気候が漆工に適していることもあって江戸時代中期になるとそれらの生産が奈良井宿より勝るようになり、江戸時代後期には「平沢塗物」として全国的にも知られる存在となりました。明治時代に入り宿場制度が廃止になってからも宿場町でなかった事から大きな影響を受けず、逆に本堅地漆器の製造技術を導入するなど技術革新を図り漆器の増産を図り日本有数の漆器生産地として発展しました。

町並みは集落を縦断する中山道(本通り)と西側に並行する金西町の街路の2本で構成され、道の両側には間口が狭く奥行が深い短冊状の敷地割りなされていました。しかし、一般的な町屋建築とは異なり、敷地一杯には建物が建てられず、防火、延焼を防ぐ為、隣会う建物とは一定距離が保たれ、道路側には「アガモチ」と呼ばれる空間を確保していました。又、漆器製作で必要となる作業場(ヌリグラ:温度、湿度を一定にする為に土蔵造り、一階が作業場、2階が乾燥場、1階は作業をし易いように出入口が大きく引戸、2階は塵や埃が入らないように工夫されていた。)が敷地中央に配されるなど木曽平沢独自の建築様式が発展し、全国的にも極めて稀な漆器の町が構成されていました。木曽平沢は現在でも古い町並みが色濃く残り平成18年(2006)に名称「塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【諏訪神社】−鎮守である諏訪神社の創建は文武天皇大宝2年(702)に高根伊勢守の道基により勧請された古社、現在の社殿は天正10年(1582)武田勝頼と木曽義康の兵火で焼失後の寛永14年(1637)に再建されたもので塩尻市指定有形文化財に指定されています。

【木曽漆器】−木曽漆器の大きな特徴は鉄分を多く含む「錆土」を下地材として使用している事で、これにより堅牢な漆器となっています(明治時代初期に旧楢川村内で漆器関係者達が下地で利用出来る粘土を探索し発見した)。常に新しい技術を取り入れると主に、伝統的な木曽春慶、木曽堆朱、塗分呂色塗の三技法も伝承され昭和50年(1975)に経済産業省による伝統工芸品に指定されています。又、平成3年(1991)には木曽漆器館が所有する木曽漆器の制作用具や製品など3729点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。

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