小野宿(三州街道・宿場町)・町並み

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写  真 備  考
小野宿(三州街道・宿場町)
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【三州街道】−三州街道は中山道の脇街道として開削された街道で、太平洋側の海産物や塩を信州の内陸部まで運んだ事から「塩の道」、信州伊奈地方を縦断した事から「伊奈街道」、中馬を利用した運送が盛んだった事から「中馬街道」などの別称がありました。中馬というのは、農家などの民間の馬を目的地まで形式的に借り上げた上で運送する方法で、料金が安く、早く、手間が簡単という三拍子が揃っていた事から急速に発展し大きな流通の流れとなりました。中山道など正式な街道だと、宿場毎に問屋場で馬を替える伝馬方式に限定された為、安全で正確だったものの、中馬形式とは逆でいちいち面倒な工程が付随され料金も割高でした。経路は中山道の塩尻宿(長野県塩尻市)から分岐して松島宿(長野県松島町)で、諏訪道と合流、伊那部宿(長野県伊那市)で中山道の宮ノ越宿とを結ぶ権兵衛街道と合流、飯田城下(長野県飯田市)で中山道妻籠宿とを結ぶ大平街道と合流、飯田城下からは四方に街道が延び交通の要衝、経済、行政、軍事の中心として発展、その後、駒場宿(長野県阿智村)で中山道の落合宿とを結ぶ飯田道(旧官道)と合流、足助宿(愛知県豊田市)などを経て岡崎城下(愛知県岡崎市)に至ります。大名の参勤交代は飯田藩のみで宮田宿に本陣を設けて宿泊所として利用していました。

【小野宿】−小野宿(長野県辰野町)は江戸時代当初までは中山道の宿場町で、ここから三州街道が分岐していた事から交通の要衝として大きく発展しました。しかし、下諏訪宿との間には難所が多かった事から元和2年(1616)に塩尻宿が開宿し、新たな経路になると重要性が失われました。明治維新後も近代的な開発が行なわれなった為、町並みは良好で、特に長野県の民家で良く見られる本棟造りと呼ばれる形式の建物が数多く存在し一般的な町屋建築で形成されてる町並みとは趣きが異なります。特に小野宿の問屋を歴任し、本陣的な役割を担った小野家の邸宅は秀逸で主屋及び土蔵(附:表門・通用門・上雪隠・湯殿・土蔵錠)が長野県の県宝に指定されています。

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