千国宿(千国街道・宿場町)・町並み

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千国宿(千国街道・宿場町)
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【千国街道】−千国街道は別称で「塩の道」と呼ばれ、日本海で採れた海産物や北前舟で荷揚げされた各地の名産、塩などを信州の内陸部に搬送する道として重要視されました。逆に内陸部からは信州の名産であると麻やタバコ、大豆、生薬類、綿などが運ばれ姫川港(新潟県糸魚川市)で荷揚げされ京都や大坂といった大消費地に運ばれていきました。経路は北陸道の糸魚川宿(新潟県糸魚川市)で分岐して大網峠(標高:840m)や葛葉峠(標高:440m)などの難所を経由して松本城の城下町に至る行程で(約30里:120キロ、通常の牛方輸送で6日間、軽量で最重要な品のみが1日半で駆け抜けた)、松本藩が塩の移送道として正式に指定した事から、山口宿には山口番所、千国宿には千国番所など藩の施設が設置され人物改めや荷物改めが行われ、中継地だった大町宿には問屋場を設けて物資の流通を図りました。

戦国時代には武田信玄が太平洋側の北条家と今川家との対立から塩の輸出が禁じられ、領内に塩が尽きかける寸前まで追い込まれると、本来敵対していた上杉謙信が日本海側から千国街道を利用して塩を武田方に送り届けたとされ「敵に塩を送る」の諺の舞台になったとも云われています。又、街道沿いには穂高神社(延長5年:927年に編纂された延喜式神名帳に記載された名神大社、信濃国三宮、国幣小社)や仁科神明宮(本殿:国宝)、若一王子神社(三重塔:国指定重要文化財)、長谷寺(白馬村指定文化財)など広く信仰される神社仏閣も多く、参拝道としても利用されました。

物資は牛方と呼ばれる牛使いが、1人につき2俵分の荷物を下げた牛を5〜6頭引き連れて行い、往時は牛方の宿泊施設である牛方宿が数多く存在していましたが、近代交通の発展と共に衰微し唯一旧千国家住宅(長野県指定文化財)だけが残されています。千国街道は大名の参勤交代で利用されなかった事から各宿場には正式な本陣や脇本陣が設けられず、さらに遊女や飯盛女を置く旅籠や置場もなかった事から華やかさはかけますが、街道沿いには御堂や石仏、石碑、石祠など民衆の素朴な信仰の名残が随所に残されています。

【千国宿】−千国宿は街道の名称の由来となった集落で、善光寺(長野県長野市)とを結ぶ善光寺道との分岐点でもあった為、特に松本藩が重要視し慶長年間(1596〜1614年)には番所を設けて人と荷物の管理を行っていました。庄屋は地名を掲げる千国三左衛門家が歴任し、番所の役人も兼ねて集落内では大きな影響力があったと思われます(番所の役人は栗田五左衛門家と合わせて2人で行い、江戸時代中期以降は松本藩の藩士が派遣され、その任を行いました)。御盆と年末の時期には市場が立ち周辺地域から数多くの人が集まり、中心的な役割をもっていた集落だったと思われますが、所謂町屋建築や旅籠建築が軒を連ねるような町並みではなく、半農半宿で農家建築が目立つ宿場町です。

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千国宿(千国街道・宿場町)
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