下関宿(米沢街道)・宿場町・町並み

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写  真 備  考
関川宿(米沢街道)
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【米沢街道】米沢街道(山形県側から見ると越後街道)は米沢城下(山形県米沢市)と村上城下(新潟県村上市)又は新発田城下(新潟県新発田市)を結ぶ街道で、街道の間には13の峠があった事から「十三峠」との別称があります。歴史的には室町時代に伊達家14代当主伊達稙宗により開削されたのが始まりとされ、天正18年(1590)の小田原の役では伊達政宗が米沢街道から越後に抜け小田原参陣を図ったとされます。江戸時代に入ると日本海の海産物を米沢城下に搬入する経路として重要視され、戊辰戦争の際には軍事用の道路として米沢藩兵が米沢街道を利用して越後に出兵しています。明治時代初期にはイギリス出身の女性紀行家イザベラバードも米沢街道を利用し、その時の様子を著書「日本奥地紀行」に記載しています。現在も峠道には石畳や石段、石祠などが残り往時の雰囲気を留め、平成8年(1996)に「越後・米沢街道―黒沢峠・大里峠・鷹ノ巣峠越」として文化庁による歴史の道百選に選定されています。

【下関宿】−下関宿(新潟県関川村)は米沢街道の宿場町と同時に荒川舟運の拠点となる川湊町として繁栄しました。荒川の河口には村上藩と米沢藩の湊が設けられ、各地から北前舟で運ばれた品々はここで陸揚げされた後に荒川舟運で下関宿まで運ばれ、ここから陸路で米沢城下を目指しました。その為、下関宿は物資の集積場として大きく繁栄し、中でも渡辺家は豪商として名を馳せ、新田開発から舟運業、醸造業など多種多様を生業とし、財政面で米沢藩を大きく支えた事から士分として取り立てられ、最終的には勘定奉行と同等の格式を得ています。又、上関は米沢藩よ村上藩の藩境でもあり、村上藩では番所を設けて出入りを管理しています。現在も街道沿いには渡辺家住宅(文化14年建築・国指定重要文化財)、佐藤家住宅(明和2年建築・国指定重要文化財)、津野家住宅(天明9年建築・新潟県指定文化財)など大型撞木造りの古民家が軒を連ね当時の繁栄が窺えます。

下関宿(米沢街道)
下関宿(米沢街道)
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