弥彦神社(門前町)・町並み

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弥彦神社(門前町)・町並み
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【弥彦神社】−弥彦神社(新潟県弥彦村)は越後国一宮として越後国最高位の格式を持ち、歴代国主、守護、領主から信仰の対象となり戦国時代には上杉謙信はじめ、多くの国人領主が戦勝祈願の願文を奉納しています。祭神の天香山命は饒速日尊と、天道日女命の御子神で尾張氏の祖神、饒速日尊の天孫降臨に従い、紀伊国の熊野邑に住んでいたとされます。弥彦神社に伝わる伝承によると、神武天皇の大和国平定後、勅命に従い越国を平定し、その後当地に留まり開拓に尽力したと伝えられています。飛鳥時代の大和朝廷の日本海側の版図は弥彦山付近だったと想定され、必然的に信仰の対象となり、海運業者や漁業関係者からも航路上の目印として神聖視されたと思われます。弥彦神社が何時頃から祭られているのかは判りませんが、上記のように政治的な配慮、又は、弥彦山自体が古代から霊山として信仰されその延長上に社が設けられたのかも知れません。越後国(新潟県)では一宮とされる神社が弥彦神社の他、居多神社(新潟県上越市)、天津神社(新潟県糸魚川市)の3社あり、大和朝廷の版図が広がる毎に信仰の対象が変わったようにも感じ興味深いところです。

【伊神駅】−古代の官道である北陸道が開削されると、越後国には、滄海駅(新潟県糸魚川市青海)八疋、鶉石駅(新潟県糸魚川市鶉石)五疋、名立駅(新潟県上越市名立)五疋、水門駅(新潟県上越市直江津)五疋、佐味駅(新潟県上越市柿崎町)五疋、三嶋駅(新潟県柏崎市)、多太駅(新潟県柏崎市・刈羽村)五疋、大家駅(新潟県長岡市)五疋、伊神駅(?)2疋、渡戸駅(?)船二疋の駅馬が設置され、その内の伊神駅は弥彦神社の祭神の伊夜比古神(天香山命)との、名前の類似性から弥彦神社の付近に設置されていたとの説があります。馬が置かれた駅家としては越後国の最終駅となり、大和朝廷の版図にも符合しますが、そう簡単でも無く、上記のように駅家が記載されてるのは平安時代に編纂された延喜式である事から、当時の朝廷の版図は秋田城(秋田県秋田市)にまで至り、秋田城までは東山道であったにせよ、その間には渟足柵(新潟県新潟市東区)や磐舟柵(新潟県村上市)なども設置されていた事から北陸道が延長されていた可能性もあります。又、隣の駅家である渡戸駅は船が置かれている事から、湊(港)町だった事が推定され、さらに馬が置かれていなかった事から、隣地には伊神駅が置かれ、この2駅で1つの駅家を形成していたとも考えられる事から、伊神駅は渡戸駅の推定地である寺泊港付近の可能性もあります。

【北陸道・門前町】−近世の北陸道は北国街道とも呼ばれ、諸説あるもの中山道の宿場町である鳥居本宿(現在の彦根市鳥居本)から分岐して近江国(滋賀県)、越後前国(福井県)、加賀国(石川県)、越中国(富山県)を経由して越後国(新潟県)に至る経路で、終着点は新潟港(新潟県新潟市)とも念珠関(山形県鶴岡市)とも云われ、弥彦神社の門前町は宿場町の1つとして整備されました。元禄2年(1689)7月3日には 奥ノ細道で弥彦神社に参拝した松尾芭蕉も北陸道を利用し門前町で宿泊しており、特に、江戸時代中期以降に一般庶民にも行楽嗜好が高まると、数多くの人が弥彦神社に参拝で訪れるようになり門前町も活況を呈していたと思われます。又、門前町の一角には湯神社が鎮座し、文献からも当時は温泉が湧き出していたとされますが、その後枯渇し、昭和に入ってから再び源泉を発見して弥彦温泉として温泉街が形成されています。

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