歴史が感じられる温泉街の町並みを旅する

  歴史が感じられる町並みを旅する(ホーム)>港町・船主集落
銀山温泉・町並み
□−銀山温泉−山形県尾花沢市銀山新畑

銀山温泉は江戸時代初期に延沢銀山の労働者が発見したと伝わる名泉で、延沢銀山が閉山になった後は温泉街として発展し、温泉番付である諸国温泉功能鑑にも記載されました。大正時代に銀山川が氾濫し大きな被害を受けましたが、これを機に大正時代の建築要素を取り入れた温泉街に生まれ変わり、現在も当時の町並みが残されています。
草津温泉・町並み
□−草津温泉−群馬県吾妻郡草津町

草津温泉の開湯伝説には諸説あり日本武尊や、源頼朝、行基菩薩により発見されたと伝えられています。室町時代の禅僧である万里集九の「梅花無尽蔵」、江戸幕府の儒学者林羅山が日本三名泉として草津温泉、下呂温泉、有馬温泉を挙げた事から広く知られるようになっています。戦国時代には諸大名、明治時代以降は文人墨客が数多く訪れています。
別所温泉・町並み
□−別所温泉−長野県上田市別所

別所温泉は神話の時代に日本武尊が発見したと伝わる古湯です。古くは「七苦難の湯」と呼ばれ清少納言による「枕草子」で記載されている「ななくりの湯」とも呼ばれています。順徳天皇による「八雲御抄」では日本三御湯として記載され、名湯として広く知られた存在でした。塩田北条氏が庇護した事で「信州の鎌倉」の異名があり温泉街らしい町並みが見られます。
渋温泉・町並み
□−渋温泉−長野県高井郡山ノ内町渋

渋温泉は奈良時代に行基菩薩によって発見されたと伝わる古湯で、戦国時代には甲斐と信濃を支配した武田信玄が戦の疲れを癒し、当地に境内を構える温泉寺を庇護しています。江戸時代に入ると、松代藩主真田家の本陣が設けられ湯治に訪れています。北国街道と草津温泉を結ぶ草津温泉の宿場町でもあり多くの人や商人が往来しました。
野沢温泉・町並み
□−野沢温泉−長野県下高井郡野沢温泉村

野沢温泉は奈良時代に行基菩薩、又はマタギが発見したと伝えられています。鎌倉時代に順徳天皇が編纂した「八雲御抄」で記載された「犬養御湯」とされ日本三御湯の1つに数えられています。江戸時代には飯山藩領となり、大湯に藩主の別荘が設けられ温泉街が整備されました。現在でも13軒の外湯が「湯中間」によって管理運営されています。
山中温泉・町並み
□−山中温泉−石川県加賀市山中温泉

山中温泉は奈良時代に行基菩薩が発見したと伝わる古湯です。その後、衰退しましたが鎌倉時代に地頭として赴任してきた長谷部信連により再発見されその後繁栄しました。室町時代には蓮如上人、江戸時代には松尾芭蕉が湯治に訪れ「山中や 菊は手折らじ 湯のにほひ」の句を残し「扶桑の三名湯」として讃えています。
下呂温泉・町並み
□−下呂温泉−岐阜県下呂市

下呂温泉は奈良時代に発見されたという古湯で、付近には古代の官道の駅家が置かれていました。室町時代には禅僧で歌人である万里集九が入湯し日本三名泉として賞賛しています。戦国時代には織田信長が家臣を引き連れ湯治を行ったと推定され、江戸時代の儒学者林羅山も日本三名泉を追認しています。温泉街は飛騨街道の宿場町でもあります。
三朝温泉・町並み
□−三朝温泉−鳥取県東伯郡三朝町

三朝温泉は平安時代末期に大久保左馬之祐が妙見大菩薩の使いである白狼を助けた事を受け、源泉の位置を教わったのが始まりとされます。中世以降、三仏寺が繁栄すると三朝温泉で湯治をする人が増え、温泉街が次第に形成されて現在でも良好な町並みが見られます。源泉は世界屈指のラジウム(ラドン)量を誇る名泉とされます。
温泉津温泉・町並み
□−温泉津温泉−島根県大田市温泉津町

温泉津温泉は温泉街と港町が合わさった町です。温泉の方は戦国時代の記録が残されている古湯で、港町は当初、石見銀山で産出された銀の積み出し港として活況を呈しました。江戸時代に入ると、銀の搬出は瀬戸内海側に移った為、大消費地だった石見銀山の鉱山町への物資の供給基地となっていました。国の重要伝統的建造物群保存地区。世界遺産。
 
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